屋久島の歴史~概要~

屋久島の歴史~概要~

自然の恵みに感謝し、神々とともに生きてきた島の人々

里と海から恵みを得る

里と海から恵みを得る

屋久島を海上からながめると海の中に急峻な山が切り立っているように見えます。まるで人の住むことのできない秘境の島のような印象を受けますが、縄文時代の遺跡が島内に残されていることからもわかるように、数千年前から屋久島には人々の暮らしがありました。
屋久島の土地の9割以上は山地です。人々は、海岸沿いのわずかな平地で暮らしを営んできました。当然、農地の面積は少なく、隣の種子島とは異なり、弥生時代より稲作はあまり盛んではありません。人々の耕作する作物はカライモ(サツマイモ)やサトウキビ、薬草類でした。

漁船

漁船

屋久島では、漁業も重要な産業です。今ではエンジン付きの漁船が利用されていますが、その昔は木造船で海に漕ぎ出し、日々の糧を得ていました。おもな漁獲はトビウオ、カツオ、サバなどでありました。特にトビウオ漁は盛んで、春、産卵のために屋久島沿岸にトビウオの群れが来ると、5丁の櫓のついた薩摩船で各漁村より一斉に漕ぎ出し、網をめぐらしてトビウオを獲りました。

道は不便であった昔の屋久島

道は不便であった昔の屋久島 戦前の民家
一湊で見られた屋久島の民家。
屋根は平木葺きで風で飛ばされないよう石が乗せてある。

狭い海岸沿いの平地にこうした農業や漁業を生業とするいくつかの集落があり、集落どうしは狭い道で結ばれている・・・・これが、昔の屋久島の姿でした。

現在の屋久島には、島を一周する舗装道路が整備されていますが、その昔は、隣の集落に行くにも狭い山道を一日かけて行っていました。屋久島を一周できる道がついたのは戦後のことで、昭和20年代に発行された屋久島を紹介する本には、「馬車が重要な交通運輸機関」とあります。屋久島では集落同士の行き来はあまり頻繁でなく、それぞれの集落の中で人々は静かに日々の暮らしを営んでいました。